トップページ  >  “イデア”なひととき
イデアなひととき
line6px
自分らしく生きるとは?第二章!

 

  “自分らしく生きる!”とは、すなわち「自分の人生」という舞台で主人公を演じることであり、“他人との比較の中には生きないぞ!”という“決意!”でもある。そしてそれは、他人の存在意義や存在価値を充分認めた上で、自らの確固たる信念を「自分の人生」に生かすということに通じるのだろう。

  わが弓の恩師、「稲垣源四郎 範士九段」は、決して大言壮語される方ではなかったが、“弓引き!(弓を引くことを生業とする)”として成し遂げられた功績は、他の追随を許すものではなかった。先年亡くなった戦中派の落語家、“春風亭柳昇”の有名な川柳の中にも、「人の値打ちとたばこの味は、煙になって判るもの!」というのがあるが、平成7年、「稲垣源四郎先生」の告別式に参列した人々を見れば、その功績は一目で明らかだった。上は80歳代から下は16~17歳の高校生まで、また男女も全く問わず、何となれば数多くのドイツ人までもが、まるで幼子のように涙にくれている。生前、皆それぞれが「稲垣先生」に教えを請い、“動く禅!”と言われる弓道の修行を通じて、人生の何たるかを学んだ弟子たちであった。

  和弓にはさまざまな流派がある。その中でも、戦国時代から江戸時代にかけて、武士の間で「武芸十八般(ぶげいじゅうはっぱん)」という実際の戦闘で使う武術が必須とされたとき、その中の弓術とは、“歩射の弓!”と言われる「日置流印西派(へきりゅういんさいは)」であった。特に、徳川将軍家の射術であったことから、「日置當流(へきとうりゅう)」とも呼ばれる。「日置當流」には明治以降、「浦上栄 範士十段」、「村上久 範士十段」という素晴らしい“弓引き!”があらわれたが、その「浦上栄先生」から“免許皆伝(めんきょかいでん)”を受け、「日置當流」の将来を託されたのが「稲垣源四郎先生」だったのである。

  類稀なる才能と人徳を兼ね備えた「稲垣先生」であったが、決してただ単に弓だけを引いておられたのではない。弓道場の控え室では、ドイツに居る多くの弟子たちに弓を教えるために、NHKのドイツ語講座を欠かさず聞いておられたし、また精密なプラモデルを組み立てられては「人間は、いつまでもキンダーなところを失ってはいけないよ!」と言われていた。“キンダーなところ!”とは、子供のように純粋な、“知的好奇心!”のことだと教えて頂いた。東京教育大学(現筑波大学)に「弓道学研究室」を創設され、古来より伝えられてきた「日置流印西派」のさまざまな“教え!”の正しさを科学的な実験によって実証されたのには、そんな“知的好奇心!”の裏づけがあったに違いない。

  そして何よりも、「稲垣先生」が我々に残された最高の“教え!”こそ、他人と比較して生きるのではなく、「自分の人生」を“自分らしく!”生ききることなのであった。

文 国影 譲

≪前のページへ | 次のページへ≫ ▲このページのトップへ