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イデアなひととき
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貴方も私もエトランジェ!(上)

 

  自分の中にある「放浪癖」については、以前このコラムでも書いたことがある。ただ、放浪する先が“海外!”となると、われわれ50代は、あまり恵まれた時代に育ったとは言いがたいだろう。

  昭和30年代に入ると、ようやく日本も第2次世界大戦の痛手から立ち直り、復興の息吹も顕著になってきた訳だが、まだまだそう簡単に国から許可されないのが“海外旅行!”だった。何しろ海外に出るためには、旅行者は必ず「外貨」を購入しなければならず、そうなれば国としても「少ない外貨準備高」が更に目減りしていくのを黙認せざるを得ない。また、国際的にも「日本円」の評価が低い(1ドル=360円の固定制)こともあって、米ドルや英ポンドを購入するためには多額の「日本円」を必要とした。国民全体が、日々の暮らしに忙殺されていて“海外旅行!”どころではなかったという事情もあるかもしれないが、本格的に“海外旅行!”が解禁されたのは、新幹線が開通し東京オリンピックが開かれた1964年(昭和39年)のことであり、それ以前は、個人としての海外旅行は、国家によって認められていなかったのである。「国家」が“海外旅行!”を全く認めないなんて、果して現代の若者たちには、そんな状況が理解出来るだろうか。実は、そんな状況だったからこそ、女流冒険家「兼高かおる」さんの“海外リポート”として有名な、「兼高かおる世界の旅!」の視聴率は30%を超える時もあったのだそうだ!子供も大人も、“見知らぬ世界!”にわくわくしながら、テレビに噛付いていたのだろう!

  昭和39年に初めて個人としての“海外旅行!”が解禁された時、羽田からハワイまでの航空運賃と7泊9日の宿泊費の合計は「36万4千円」だった。何と“初任給!”が「2万3千円」の時代にである!つまり、“ハワイ旅行!”は現在の貨幣価値に直せば、「350万円以上」もするような“人生の一大イベント!”だった訳だ。同じくヨーロッパ一周旅行16日間が「67万5千円」。これでは、そう簡単にちょっと“海外に!”というわけには行かない。この年の「年間海外渡航者総数」は13万人だったと記録にある。この人数は、毎日、各都道府県からわずか20名しか出国出来ないことを意味している!ちなみに、昨年12月29日の「海外渡航者数」は、1日で4万8千人なのだ!

  我が身を振り返れば、「放浪者」としてはやや遅きに失するのだが、25歳の時、生まれて初めての“海外”「カナダ」を旅することになった。会社員として、そこに仕事があるのだ!などと、無理やりにこじつけて、一人バンクーバーに向けて旅立とうとしたのだが、最初の挫折感は、“成田空港行きリムジンバス”の中で自分を襲ってきた!「そうか!俺は全く英語がしゃべれないのだった!」

■貴方も私もエトランジェ!(中)は、こちらから>> 文 国影 譲

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