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イデアなひととき
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遠い故郷に残る想いは…!

 

  両親共に出身は福井県敦賀であり、更に父方、母方の祖父母も永く敦賀に暮らしていたので、“故郷への想い!”は、まさにここにある。明治、大正、昭和に亘って、ロシア貿易が盛んな頃は、舞鶴港と並んで非常に活発
に、物も人も行き交う一大貿易港であったらしい。そんな敦賀港から数百メートルしか離れていない父方の実家
の前を、港にたくさんの資材を運ぶために、蒸気機関車に引かれた百両近い貨物列車が、朝に夕べに「ザッ!
ザッ!ザッ!ガタンゴトン!ガタンゴトン!」と通り過ぎる。そして、幼い私は庭の片隅で息を呑みながら、その
雄姿をじっと見つめていた。風を切り裂くように汽笛を鳴らしたり、小刻みに「ザッザッザッザッザッ!!」と蒸気
を吐き出したり、その吐き出す煙も黒かったり、白かったり。疾駆する蒸気機関車は、子供にとってはまるで“走る巨人!”のようだった。

  以前にもコラムに登場した祖父は戦前、発明家としても知られていて、木札のような鍵で開ける銭湯のロッカーや、円柱状の物に掛けるシリンダ状の鍵についての特許を持っていたらしい。手先の器用な人で、接着剤を一切使わない全てはめ込み式の「模型の戦艦」を作ったり、ヤカンから出る蒸気でカタカタと動く「蒸気機関」を作ったりしたそうだ。残念ながら戦争で全部焼けてしまったが、祖母はそんな祖父が自慢だったのだろう。まるで少女のように、祖父のことを孫に自慢した。祖父は“おしゃべり!”だった私に、「男はあまり喋ってはいけない!少し黙っていなさい。」とちょっぴり厳しい口調で叱った。そして、ジャムを作るために庭に植えた「杏」の実から種だけ取りだして、その両側を砥石で削り、三つ目錐で穴を開けて“笛”を作り、叱られて半べそをかいた孫の機嫌を取るのだった!

  父方の実家にはガスも水道も無く、唯一電気だけは来ていたが、それは“灯り!”と同義語で、他の電化製品など影も形も無かった。ガソリンコンロで煮炊きするため、家中何となく石油の臭いが漂っていたし、家から歩いて5~6分のところにある「しょうず」という「共同井戸」に、天秤棒にバケツやヤカンをぶら下げて、毎日、水を汲みに行くのが当然の日課だった。

  今考えれば、都会では想像もつかないような不便な時間だったのに、私には一つとても不思議な感覚がある。それは、“故郷への想い!”が、鮮烈な色彩を放っていることだ。井戸に浮かべた「スイカ」の“緑!”。裏山から祖父と一緒に持ち帰った「山つつじ」の“紅色!”。真っ暗な神社を抜けて、やっと辿り着いた「銭湯」の灯りの“オレンジ色!”。蚊取り線香の先からぼんやりと立ち昇る煙の“白”。ああ、なぜ故郷は心躍るような色彩にあふれているのだろう!

文 国影 譲

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