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イデアなひととき
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   京都は“四季折々”に美しく、いつ行ってもどこに行っても、私たちの旅情を大いに掻きたて満足させてくれる。しかしながら、さすがに盆地らしく「夏」のじっとりと纏わりつくような暑さと、「冬」の冷え冷えと凍てつくような寒さは、身に堪える。“町衆”が様々な工夫を凝らして、過ごし易さを追求した京町屋での暮らしも、やはり「夏」と「冬」は少々“我慢”との共存を余儀なくされるらしい。それに引き替えると“したたるような緑と妖艶な桜色”が目に沁みる「春」と“紅葉のグラデーションの多彩さ”に目を奪われる「秋」は、京都中が心躍る“華やかさ”に溢れる。もともと自分自身は、人生が大きな節目を迎えることの多い「春」を苦手としてきたのだが、京都の「春」だけは格別だと感じさせる。

  以前のコラムで、稲作の神「サ」が山から里に降りて来て、座(くら)する木が“桜”であると紹介したが、そんな神話が伝えられる空間こそがまさに“京都”なのだ。祇園にある「八坂神社」を上がっていくとそこは「円山公園」で、名木とその名も高い“枝垂桜(しだれざくら)”は、現在のものが二代目である。「桜守(さくらもり)」である「佐野藤右衛門」氏によって守られているのだがそのあまりにも優美ないでたちと瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気に、土地の人、旅の人を問わず、感嘆の声を上げて、しばしその場に立ち尽くすのが常の風景である。特に真っ盛りにはライトアップが施され、その“桜”の咲きっぷりの豪華さには圧倒される。植物にも“意志”と“意識”が間違いなく有るというのが「佐野藤右衛門」氏の話で、「佐野」氏が“桜”に話し掛け幹を撫でると、喜んでその枝を震わせるのだそうだ。まるで“桜の精”が宿るような“枝垂桜”を見ていると、“さもありなん!”と思わせる風情であるのが、また何とも不思議で好ましい。

   “花より団子!”という方々には、「春」の京料理と“旬”の食材をご紹介しよう。まずは何を置いても、“京都”の「春」を代表する食材と言えば“筍(たけのこ)”だろう。

  竹という植物自体は、日本全国どこにでも生息しているのだが、京料理で使う“筍”は、食用竹の代表である「孟宗竹(もうそうちく)」だ。約1200年前に「道雄上人」というお坊さんが“唐”から持ち帰った竹で、“京都”では、柔らかくて美味しい“筍”を作るためにわざわざ「冬」の内に“筍畑”に藁を敷いてその上に土を置く。これを置土(おきつち)と言ってなかなかの重労働だと聞く。掘る時期も決まっていて、“早掘り”が3月中旬から下旬、最盛期が4月中旬からtwoonelife705月上旬である。地上に頭を出した“筍”は既に固いので、土の盛り上がりだけを見て、まだ地上に頭を出していない“筍”を独自の道具で掘り出す。朝、掘った“筍”は、えぐみの出ないうちに糠や米の研ぎ汁で茹でて、たっぷりの出汁でわかめなどと炊き合わせても良いし、新鮮なうちであれば刺身も美味い。皮を剥かずにそのまま焼くのを“筍の姿焼き”と言って、清々しい「春」の香りが鼻腔をくすぐるのが心地良い。また、“タラの芽”や“蕗の薹(ふきのとう)”、“春独活(はるうど)”などの山菜と木の芽味噌で和えるのも最高だ。


文 国影 譲

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