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イデアなひととき
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美味なるかな、この人生!

  人生の悲しい時、嬉しい時、勇気を持って先に進もうとした時、どのシーンにも“美味しいもの”の記憶が付き纏うのは、私が根っからの“食いしん坊”だからだろう。“食べる!”ということ自体が、単に命を繋ぐという意味合い以上に“楽しさ”であり、“喜び”であり、変わらぬ“思い出”であり、そして、人生の“充実感”そのものではないかと思っている。いやもう一歩進んで言えば、私にとっては“美味しいもの”を食べる事こそが“人生の目的”なのかもしれない。明日も元気に生きてさえいれば、今まで出会ったことも無いような“美味しいもの”に突然出会えるかもしれないではないか。呵々大笑(かかたいしょう)!

  子供の頃の“美味しいもの”の“思い出”は、故郷の祖父の“思い出”と重なる。いまだに私の“大好物”である「豆腐ご飯」は、祖父譲りである。作り方はいたってシンプル。豆腐にマヨネーズと、若干の醤油を掛けて混ぜ合わせ、暖かいご飯の上に乗せるだけだ!ただこれを、当時なかなか手に入れ難かった瓶入りの最高級マヨネーズで作るところが、洒落者の船乗りだった祖父らしい。そして、そのマヨネーズの空き瓶に、畑で丹精込めて育てたイチゴで作ったジャムを詰めて、わざわざ送ってくれるのだ。瓶の中には、畑の段階で熟した甘~いイチゴが、ごろりと入っている。私自身もう人生の老境に差し掛かりつつあるが、あれほど美味しいイチゴジャムには、ついぞお目に掛かったことがないのである。

  “食いしん坊”は、大別すると“グルマン(大食家)”と“グルメ(美食家)”に分けられると言う。人によって僅かな違いはあるにしても、十代から二十代の初めの頃までは、おそらく、人生で最も“大喰らい”が似合う時期なのだろう。twoonelife68学生時代の“思い出”は「大かつ玉牛(おおかつたまぎゅう)」に代表される。体育局の学生が集まる牛丼屋の人気メニューは、大盛りの牛丼に、揚げたての豚カツ1.5枚分を乗せ、その上に生卵がかけてある。おそらく栄養価は3,500kcalを下らないだろう。これを残さずペロリと平らげた時の満足感は、決して忘れられない。これだけ食べても全く太らないとは、若者の“新陳代謝”恐るべしである。しかし、青春の“思い出”がずばり「牛丼」とは、お恥ずかしい限りだ。

  社会人になってから今日までの“美味しいもの”の“記憶”は、それを誰と一緒に食べたのかという“思い出”と重なる。30数年前に共に異郷を旅した友とひょんなことから上海で再会し、舌鼓を打った「鼎泰豊」の「小籠包」。遠く去りゆく人の瞳を見つめながら噛みしめた京都「平野屋」の「鮎」。会社を立ち上げて、新たな人生に挑戦する友と味わった「野田岩」の「鰻」。どれもこれも、命ある限りは決して忘れることが出来ない“美味しいもの”だ。

   私が、心から尊敬する作家「池波正太郎」先生の作品には、随所に“よだれ”が出そうになる“美味しそうなもの”が登場する。コラムを書き始めた40代の頃には、そのことの意味がまだ深くは分らなかったが、最近になって、ようやく腑に落ちた。そう!“美味しいもの”こそが“人生の神髄”なのである。


文 国影 譲

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