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イデアなひととき
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千年の時を超えて!(上)

 

  今でこそ、人間の寿命は80年とも90年とも言えるような時代になったけれど、一昔前は“人生50年”と言われていた。そんな「人間の生命時間」からすると、千年という時間はまるで“悠久の時”と同義語のようなものだと思える。しかし、実は千年前に作られた文化の礎は今でも、現代に生きる我々に脈々と受け継がれており、時折ふとそれを実感することがある。

  今から千年前、西暦1006年は年号で言えば寛弘(かんこう)3年にあたり、日本はまさに「平安時代」の真っ只中にあった。「平安時代」は桓武天皇が794年に京都に平安京を開かれてから、鎌倉時代が始まる1185年にかけて、実に390年に亘って続く“貴族の時代”であり、“文化の爛熟期!”でもあったのである。

  現代人である我々にもなじみの深い「源氏物語」の作者「紫式部」や、「枕草子」の作者である「清少納言」、「栄華物語」を書いた「赤染衛門(女性ですよ!)」、「和泉式部日記」の「和泉式部」など、日本の文学史にその名を残す女流作家たちが大活躍した。これほど素晴らしい才能を持った女流作家が数多く生まれた時代は、これ以降は現代に至るまで二度と無かったと言っても過言ではない。この頃、漢字から新たに生まれた“仮名文字”が、女性たちにとっては非常に使いやすい“格好の伝達手段!”になったのだろう。また、貴族たちの間では“通い婚(男性たちが女性の住む館に通う!)”が普通の結婚形態であったため、女性たちの“サロン文化”とも言うべき、文学の温床が作られたのだと思う。そして彼女たち女流作家を擁護し、その文学を広めたのが「藤原道長」とその娘「彰子(一条天皇の后)」であったのも見逃せない。

  「平安時代」の貴族の中にあっても、その権勢比類なき代表格と言えばこの「藤原道長」であろう。「この世をば、わが世とぞ思う、望月の欠けたることもなしと思えば」という歌を残した彼は、自らの娘たちを天皇に嫁がせ、生まれてきた孫たちを更に天皇に即位させるという外戚政治で、権力を欲しいがままにした。ところが、この「藤原道長」にも一つ大きな悩みがあったらしい。

  「藤原道長」は、966年に生まれて、1027年に64歳で逝去するまでずっと病弱で、書物に残るところによると、大きな権力を手に入れた後も幾度と無く“病気”を理由に引退願いを天皇に出し、その度に慰留されていた。もともと彼は、摂政「藤原兼家」の五男として生まれており、上4人は早逝しているのだ。

■千年の時を超えて!(中)は、こちら>> 文 国影 譲

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