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イデアなひととき
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健康は努力と共に!(上)

  日本も昭和30年代に入ると、ようやく第二次世界大戦による“飢餓状態”を脱して、市場にもさまざまな食品が並び始めた。しかし、子供たちの様子を見ると、栄養状態が悪いため“青洟”を垂らした子あり、頭に“白癬(しらくも)”が出来て何度も薬を塗られる子ありで、まだまだ日本は戦争の“尻尾”を着けたまま時間が流れているようだった。そんな理由からだろうか、小学校の“通信簿”には“栄養状態”という欄があり、保健室の先生が“優・良・可”の3段階で評価をつけていたと記憶している。なぜそれを鮮明に覚えているかと言うと、私の評価は只一度の例外も無く、小学校6年間ずっと“可”だったからだ。学年でも3本の指に入るほど体が小さく、他の二人と共によく皆から“3チビ、3チビ”と言われたものである。体も虚弱で、父親と一緒に銭湯に行き、少しでも長湯をすると必ず気分が悪くなって倒れ、小学校の体育館で“映画”の上映がある時も、出入口を締め切って空気が悪くなった途端に倒れるという状況が続いた。体育の授業も苦痛でしかなかった。“跳び箱”はどんなに低くても跳べず“鉄棒”はと言えば“懸垂”
も“逆上がり”も出来ず、“徒競走”に到っては、女の子達を含めても“断トツのビリ”が指定席だった。特別
“偏食”がひどかったり、“拒食症”という訳ではなく、家族と同じものを食べても充分に栄養を吸収出来ない体質との事で、親にはかなりの心労を掛けたと思う。

  「健康」とはいったいどのような状態を指すのだろうか。“国語辞典”に拠れば「体や心がすこやかで、悪いところの無いさま」とある。また1948年(昭和23年)に、「世界中のすべての人々が、可能な限り最高の健康水準に到達すること(世界保健憲章第1条)」を目的に設立された国連の専門機関であるWHO(世界保健機関、World Health Organization)によれば、「健康」とは、「完全に、身体的、
精神的、twoonelife53_2社会的に良い(安寧な)状態にあることを意味し、単に病気でないとか、虚弱でないということではない。」とある。つまり、「健康」とは、身体的なことばかりでなく、精神的な健全性や、知的で適切な教育、また家族や地域社会、職場での豊かな人間関係など、人間を取り巻くさまざまな面のバランスが、きちんと取れていることを指しているのである。

  もしあのまま何もせずに成長したら、今頃は生きていなかったかもしれない。実際、中学校を卒業した時でさえ、身長は135cmほどしかなかったのだから。“運動”と名の付くものは全て拒絶し、生きていく事にさえ自信が無かった。身体にも確かに問題は有ったが、何よりそれに立ち向かう“精神”が病んでいた。そんな私に父は“キャッチボール”を勧めた。本来“遊び”であるはずの“キャッチボール”をしかし父は“強制”した子供の自主性を重んじる父にしては珍しいことだった“運動”と名の付くものは何も出来なかった私の心に、わずかな変化が生じた。私にも、周りの皆と一緒に出来る“運動”が見つかったのだ。しかも、皆にそれを褒められるのが無性に嬉しかった。

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文 国影 譲

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