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イデアなひととき
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京都はいつでもそこにある!

 

  京都のいちばんの“魅力”は、「世界遺産」のすぐとなりに「庶民の日常生活」があることだろう。千年を超えるその歴史の流れは、しかし間違いなくその時々に生きる人々によって支えられてきた。一人の人間の寿命をはるかに超える時間軸は、何代も続く京都独特の“一子相伝”という文化によって形作られ、絶えることなく現代にまで続いている。つまり京都では、他に例の無い“京都時間”というものが流れているのを感じることが出来るのである。

  ここにはかつて、御所や寺社、茶道家元の御用だけを営む“菓匠”と言われる“和菓子司”があった。その数は15軒とも22軒とも言われているが、節句々々に催される茶会には、それぞれが独自の季節感を写した“生菓子”を供し、集う賓客の目と舌を喜ばせたという。そんなごく一部の人々の享楽は、やがて京都に住む町衆みんなの楽しみとなり、いわゆる“老舗”と呼ばれる“和菓子店”になっていった。各店ごとに、貴重な材料をどう加工するかは“秘中の秘”とされ、まさに“たった一人の後継ぎ”にだけ託されて、暖簾が守られてきた訳である。しかし、実はとても重要なのは“守ること”にとどまらず、その時代に合った“最先端”も積極的に取り入れるのが、京都の“老舗”だということだ。“菓匠”に限らず、この「数百年変わらないもの」と「時代の最先端」のバランスをとる“老舗”という感覚こそが、京都という都市を際立たせる“根源”になっていると感じる。

  その京都の“老舗”を表すこんな古い歌が残っている。「三条室町 聞いて極楽 見て地獄 おかゆ隠しの 長暖簾」。“老舗”と言えば、奉公に上がるものにとっては“憧れの的”ということになるのだろうが、実は営々と続く“家訓”を厳守し、決して華美な生活などおくっていない。季節ごとに“着るもの”まできちんと決められ、食事も質素倹約を旨としている店も多い。祭りなどの“対外活動”で義理を欠くことは決してないが、日常生活は極めて慎ましいのが当たり前となれば、店の主人から奉公人まで一緒になって“おかゆ”をすすっている姿も微笑ましいではないか。店先の“長暖簾”で、そんな様子を隠そうとするのは、お客様に“商品”と共に“夢”も買って頂こうとする“老舗”の心意気であろう。

  国宝や重要文化財を目指して歩き回るも良し、神社仏閣を巡って神妙な気持ちになるのもよいが、「出町ふたば」で豆餅と赤飯をしこたま買い込んで、賀茂川べりに“ぺたり”と座り、川面に吹く風に身を任せながら、舌鼓を打つのも洒落ている。

文 国影 譲

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