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一期一会のある暮らし
今日も酒、咲け!
(上)

  正月三が日で、日本酒を2升も飲み干す“大酒呑み!”の父親を持ちながら、若い頃の私が全くの“下戸(げこ)”だったのは、奈良漬を食べても顔を赤くする母親のDNAを、色濃く引き継いだせいだろう。ただ、歳を取れば体質も変わるということを最近実感している。相変わらず決して強くはないが、何と良い心持ちに悪酔いもしないで、普通に「酒」が飲めるようになってきたのだ!

  もともとは父もそんなに酒が強かった訳ではないらしい。“酒呑み”に磨きが掛かったのは、戦時中、国後島・択捉島で従軍していた時だという。既に戦局は日本に利有らず、食料、特に米を積んだ船は爆撃されて島に到着せず、なぜか酒を積んだ船ばかりが入港する。堪りかねた軍上層部からは「酒が飲める者は、米に換えて酒を飲め!」との命令が下されたらしい。

  戦争の真っ最中に、朝からがぶがぶと酒を飲む将兵たちを想像すると、どうやら戦意もへったくれも有ったものではないが、「日本酒」だけでも命を充分に繋げることは、邦画家「横山大観」翁が身を持って示されている。父も「日本酒」は、“米のスープ”であるというのが持論で、終戦直前に仙台の部隊に転属になるまでの1年有余は、とうとう一粒の米も口にせず「日本酒」を主食に過したという。とまあ、ここまでは“酒豪伝説!”のようなものであるが、この後がいけなかった!さすがに“酒焼け”した胃袋は米粒をまったく受け付けず、 たとえ「お粥」であっても、半年間は日々“嘔吐感”との闘いだったそうである。“二日酔い!”という言葉はあるが、“半年酔い!”とは、まことに豪気な話ではないか!

  さて、自分が少しは飲めるようになってみると、「酒」はなかなか魅力的なものである。子供の頃、酔っ払った父親は“しつこさ!”や“くどさ!”を体現し、ある意味で“避けたい存在”だったのだが、とうとう自分もその気持ちが「分かる!分かる!!」ようになってしまった。古来より、人は“冠婚葬祭”の時ばかりでなく、花が美しいと言っては呑み、楽しいと言っては呑み、哀しいと言っては呑み、暑いと言っては呑み、冷えると言っては呑み、別れに呑み、再会を祝して杯を重ねてきたようである。おそらく、人生の節目、節目で「酒」が着いて回るのは、それが日常から非日常への入り口であり、場面転換に最もふさわしい小道具だからだろう。「酒」でなければ、決して作り上げることが出来ない独特の“華やぎ”は、「酒」自体の味や香り、酔い心地もさることながら、どんな肴で呑むか、どんな酒器で呑むか、そして“誰?”と呑むかに大いに因る。清潔な白木のカウンターを前にどっかりと腰を据え、ひとり“藁焼きの鰹” を頬張りながら人肌に温めた日本酒をやるもよし、後から後から、止めるまで出続ける店主自慢の“串揚げ”を肴に、友と声高に語り合うのも一興である。