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一期一会のある暮らし
「笑い!」に魅せられて!
(上)

  地球上の生き物の中で、自分の意志で“笑う!”ことが出来るのは、唯一、人間だけだという。動物と人間を最終的なところで分けるのが“笑い!”だというのは、とても興味深い。

  生まれて数ヵ月の赤ちゃんが無邪気に笑う時、周囲の大人たちはその笑顔に無意識のうちにつられて笑ってしまう。そこには、何の打算も計算も無く“天真爛漫さ”がもたらす“安らぎ!”がある。18世紀、有名な哲学者「エマニュエル・カント」は、「“笑い!”は緊張の緩和から来る。」と言ったが、“緊張の緩和”は、即ち“安らぎ!”と同義語なのではないか。

  とまあ、固い話は脇に置いておいて、私にはまだ小学生の頃から「落語」が好きで、よく渋谷にあった「東宝名人会」に連れて行けと親にせがんだ記憶がある。当時は立ち見も出るほどの盛況で、しかも“名人上手!”と今でも語り伝えられる落語家たちが現役だった。「古今亭志ん生」、「三遊亭圓生」、「桂文楽」、「春風亭柳昇」、「柳家小さん」など、座布団にすっと座っただけで周囲からため息が漏れるほど“絵になる!”師匠たちが大勢おられたのである。小学生のくせに、「桂文楽」が演じる廓話「明烏(あけがらす)」の甘納豆を食べる場面に惹かれてよく真似をしたものだし、「古今亭志ん生」の“酔っ払ったような!”口調がたまらなく好きだった。

  また、柳昇師匠の「あー、わたくしは春風亭柳昇と申しまして、大きな事を言うようですが、あー、今や春風亭柳昇と言えば“我が国では!”・・・・、私ひとりでありましてぇー・・」という決まり文句には、腹の底から湧き上がってくるような“可笑しさ!”を感じたものだ。 落語家の世界では、意図して作った“可笑しさ”ではなく、生まれつきの“面白さ”を“フラ!”と言い、「こっちがいくら頑張っても、あいつのフラにゃかなわねえ!」というような使い方をする。柳昇師匠は名人でありながら、まさにそんな“フラ!”を兼ね備えた方だった。

  2003年6月に亡くなるまでの数年間、吉祥寺の映画館を年4回借りきり、「すずめ会」という柳昇師匠の後援会主催で公演をお願いした。なぜ“すずめ!”と付けたかと言うと、師匠の有名な川柳、「遊んでいるよな“子すずめ”さえも、生きていくには苦労する!」が、師匠の持っておられた雰囲気にぴったりだったからである。失礼な言い方ながらとても可愛い方であり、亡くなる寸前まで公演は若い女性ファンで超満員だった。師匠ご自身は、戦争で傷ついた指では、古典落語の細やかな表現は難しいとの思いで“新作落語”の世界を選ばれたらしいのだが、実は晩年、“古典落語”特に“人情物”を演じられて、出色の出来栄えであった。