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一期一会のある暮らし
四季を彩る京の和菓子
(上)

ichigo14-1  京都甘春堂のご主人、木ノ下善正さんは「京の和菓子」について、「とことんやって、ちょっと引く。」と表現されている。何を指しておられるのかと言えば、つまりは和菓子を通して表現する“日本の四季折々”のことである。「春は花咲き、夏繁り、秋は紅葉の錦絵の、冬は雪降る故郷の・・。」という心象風景は、日本人の心の奥底に去来して止まないが、京都の菓子司たちの目指すところはあくまで、作る者と食べる者が“この想像の世界で充分遊べる抽象性”だという。もともと京文化は、“あざとさ”や“やり過ぎ”を嫌い、“写実性”を否定はしないものの、“極めた末の遊び”を尊ぶ。この感性こそ「とことんやって、ちょっと引く。」なのであろう。

  「菓子」とは、その文字からも想像がつくように、もともと中国から渡来した「果物・木の実」に端を発する。その起源は古く、第11代垂仁天皇の頃、天皇の命を受けた“田道間守(たじまもり)”が南方より持ち帰った「橘(たちばな)」の実が、日本における菓子の始まりとされている。これ以降、京都では“田道間守”を「菓祖神」として祀り、毎年春と秋の2回、吉田神社で「菓祖神祭」がとり行われるようになった。

  そもそも京都で「和菓子」が本格的に広まったのは、さまざまな好条件が重なったからだと言える。例えば、丹波をはじめとする素晴らしい原材料の生産地に恵まれていることや、常に最高のものを求めて止まない“貴族文化”があったこと、そしてその要求に充分応え得る技術力を持った職人集団が、京都に集まっていたことなどがあげられる。

  更に、何と言っても京都では「茶の湯」が一般庶民にまで広まっていったことが「和菓子」の隆盛に大きな影響を与えた。もともと、茶席で客人に供する「菓子」は、招待する側の主人が手作りする“素朴”なものだったらしい。それが、千家筋や有力社寺の茶会で、名だたる“菓匠”が作る「和菓子」が供されるようになると、町衆たちもこぞってこれを贔屓するようになり、庶民生活の重要な一部にもなっていった。ただ、現代でも、京都人は「お持たせ(進物・贈答品)」を買う店を「お菓子屋はん」、日常生活で食べる「和菓子」を買う店を「おまん屋はん」と呼んで、明確に区別している。お客様や訪問先の方々を喜ばせるための「和菓子」と、毎日の我が暮らしを豊かにするための「和菓子」、共に庶民生活に深く根をおろし、日本の“移ろい行く四季”を写している。