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一期一会のある暮らし
「浮世絵」は江戸庶民文化の華(上)
(上)

「浮世絵」を語るには、まず“浮世(うきよ)”という言葉の意味から始めなければならないだろう。ご存じのとおり、長く続いた戦国時代(戦乱の世)で、最も辛い目に
遭ったのは一般庶民だった。そこで庶民たちは皆、世の中のことを“憂き世(辛い世)”と言っていたのだが、ようやく江戸時代に入り天下泰平になってみれば、どうやら生きている事もまんざら悪くない。月見、花見の、その美しさは言うに及ばず、皆で車座になって酒を飲み、高歌放吟(こうかほうぎん、大声で歌うこと)も心から楽しい。しかし一方で明暦3年(1657年)に起きた“明暦の大火”の様に、一晩にして全財産が灰燼に帰すこともある。それならばここは一つあまり世の中を真剣に深く思い悩まず、財産の無い事など意に介さず、水に浮かぶ瓢箪のようにスイスイと生きて行こう。これを即ち“浮世(はかない世)”と名付けようと、仮名草子作家であり、僧侶でもあった「浅井了意(あさいりょうい)」がその著作に書いてから、“憂き世”が“浮世”となったと伝わる。
もちろん“はかない世”とは言っても厭世的でなく、“現世享楽(この世に生きている間は、楽しい時間が過ごせれば良い!との考え)”こそ“浮世”なのだ。

さて、そんな“浮世”を名に冠した「浮世絵」は、どのようにして生まれたのだろうか。どうやら、「浮世絵」が誕生するきっかけを作ったのは、貸本の挿絵を生業としていた“絵師”「菱川師宣(ひしかわもろのぶ)」だと言われている。彼の描く挿絵の評判は極めて高く、時に本の内容よりもその絵が評判を呼んだという。そこで「師宣」は挿絵ではなく、墨摺(すみずり)という黒一色の“版画”を制作し始めた。そして、これが又評判を呼んだらしい。こうして「浮世絵」という一つの日本画のジャンルが確立されたのだった。「浮世絵」には、“肉筆画”と“木版画”があるが「師宣」はいずれにも素晴らしい作品を残している。郵便切手のデザインにもなった「見返り美人」は“肉筆画”で彩色されており、芸術性も高い。ただ“肉筆画”は一点物であるが故に高価で、一般庶民にはなかなか手が届かない。 そこで、何とか安価で、庶民でも気軽に購入出来る手立ては無いかと考えた末に辿り着いたのが、多色刷りも可能な“木版画”だったのである。 “絵師”、“彫り師”、“摺り師(すりし)”がチームを組んで“多色刷り木版画”の大量生産に取り組んだ結果、“発明”されたのが、版木に付けられた印である“見当(けんとう)”だった。この“見当”に紙を合わせれば、何色摺り重ねても色がずれる事が無い。この“見当”のお蔭でかなり繊細な「浮世絵」であっても、素晴らしい“色彩表現”と“大量生産”を同時に達成することが出来たのだ。
現在でも使われる言葉「見当を付ける」とか「見当違い」の“見当”はここから来ている。こうして、一枚16文(現在の貨幣価値から言えば3~400円)というリーズナブルな価格で売り出された「浮世絵」は、爆発的な人気を得て、庶民の生活の中に浸透していった。この「浮世絵」人気に目を付けて、力のある“絵師”を育て抱え、プロデュースしたのが“版元”と言われる人達で、貸本業で有名な「蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)」などもその一人だった。(つづく)


文 国影 譲

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