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一期一会のある暮らし
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 「ライムライト」とは、19世紀の舞台で使われた“照明装置”の事で、Lime(石灰)に高温の酸水素炎を吹きかけると、極めて強い“白色光”を放つ現象を利用している。そして、これが転じて“名声”という意味になったのが興味深い。
「サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン」(以下、チャップリンと呼ぶ)が1952年制作、全米で公開され、日本でも1953年に公開されて大ヒットとなった「ライムライト」は、その映画の舞台が19世紀であり、俳優の“名声”の栄枯盛衰を題材としている事を「ライムライト」という題名に込めたものだ。

世界の三代喜劇役者とは「ハロルド・ロイド」、「バスター・キートン」そして今回お話する「チャーリー・チャップリン」だと言われるが、他の二人と比べた時、チャップリンが単なるドタバタ喜劇役者でないことは、彼の作品を見ていると直ぐに知れる。彼に有って他の二人には無い決定的なもの、それは“ペーソス(哀愁)”だろう。常に彼に付きまとう“哀愁の影”は、まずその生い立ちにあった。 しがない舞台芸人夫婦の間に生まれたチャップリンだったが、彼が1歳の時に両親は離婚し、また彼が5歳の時に母親は舞台で喉を潰してしまい、二度と舞台に立てなかった。その為、母親はあまりの貧困と労苦で精神に異常を来たし、施設に入れられてしまった。チャップリンは極貧生活の中、兄のシドニーと共に孤児院や貧民院を渡り歩き、更に本当に様々な職に就き、とうとう時にはコソ泥まで働いたらしい。そしてこの時に見た市井の人々がチャップリンの作品に生かされており、彼の生み出す色濃いペーソスの源泉になっているという訳なのだ。

また1930年代、トーキー(サウンド)映画が主流になろうとしていた映画界の中でも、チャップリンはサイレント映画に強いこだわりを持っていた。それはチャップリンがまだ幼い頃、母ハンナが窓の外に行き交う人々をパントマイムで真似して見せて、彼に人間観察の重要さを教え、パントマイムこそが言葉の要らない最高の人物表現だと確信させたからだろう。その生涯を通してチャップリンが“お金持ち”や“権力者”に反発し、貧困と闘い虐げられる人々の側に自らの心を置いたのも、このような幼少期に培われた価値観だったのだと想像させる。
「ライムライト」の中でも、過去の栄光に見捨てられた老道化師「カルヴェロ」が、自殺を企て意識不明で倒れているバレーの“踊り子”「テリー」を助ける。
「テリー」は自分のレッスン料をねん出する為に、姉が娼婦と成っていたことを知ってしまったのだ。そんな絶望する「テリー」を救うために「カルヴェロ」はこう言う。「人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ!人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして少しのお金だ!」監督、脚本、制作、演出、音楽までも、全てチャップリン自らが手掛けていたのだから、この言葉自体も、チャップリンの心の叫びであったと思うのが自然だろう。1952年ロンドンでの「ライムライト」のプレミアに出席する為英国に向かったチャップリンは40年間活躍したアメリカから、旅行中に国外追放(再入国許可書の返還請求)されたが、1977年88歳でこの世を去るまで、スイスで家族に囲まれ幸せに暮らした。