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一期一会のある暮らし
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僅か14歳2ヵ月で“棋士(プロの将棋指し)”となったその少年は、400年に1人の“天才”と呼ばれ、同じく“天才”と呼ばれていた「加藤一二三」九段を破ったのを皮切りに、プロデビュー以来29連勝という“前人未踏”の大記録を打ち立てた。今や将棋を知らない人達の間でも、その名を知らない者はいないという「藤井聡太」四段、その人である。最近、“囲碁”や“将棋”の世界にも、コンピュータの波が押し寄せ、将棋界にも“AI(人工知能)時代”が訪れた。既に人間は“将棋”で“AI”に勝てない。しかし「AIにはAIの“存在意義”があり、人間の棋士には人間の棋士としての“存在意義”が必ずあると思う!」と語る「藤井」四段は時代の最先端を駆け、彼が現れる以前と以後では“将棋”という日本固有の“ゲーム”の“存在価値”を全く変えてしまう可能性がある。

世の中には、様々な“天才”の定義がある。或る人は“IQ(知能指数)140”以上の人間が“天才”だと言い、また或る人は“持って生まれた天賦の才”が有る人間、つまり“努力”ではなく天から授かった才能を持った者が“天才”なのだと言う。ただ私には“天賦の才”と“社会への影響力”の共存こそが“天才”の重要な定義だと思える。言わば“彼ら(天才達)”は常に時代の最先端を駆け、更に“彼ら”が現れる“以前”と“以後”で、“スポーツ”や“芸術”、“文学”や“科学”などの分野に於ける“価値感”や“基準”、“考え方”を大きく変えてしまうという役割を担っているのだ。間違っても“社会”と隔絶した隠遁生活をしていたり、“社会”に何も影響を与えない者を“天才”とは呼べないだろう。

パリの「ルーヴル美術館」は不思議な空間だ。「ミロのビーナス」や「サモトラケのニケ」などの素晴らしい“彫刻群”が直ぐ手に触れるような所に何気なく置かれていたり、中世に描かれた“絵画群”の真ん前では幼い子供たちが懸命に“模写”していたりする。貴重な芸術作品をあれ程間近で見られる場所は地球上で他にはない。しかしその一角にぶ厚い“防弾ガラス”で覆われた、私達の想像よりずっと“小ぶり”な一枚の絵が掛けられている。まるで絵の方から見る者に対してスポットライトが浴びせられるような感覚に陥るのは、作者である“天才”の超絶的な力量の故だろう。その絵こそ「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が描いた「モナ・リザ」である。

おそらく読者の皆様も“画家”としての「ダ・ヴィンチ」についてはよくご存じだと思う。しかし「レスター手稿」と呼ばれる「ダ・ヴィンチ」直筆の72枚の原稿を見ると、彼への見方は大きく変わるのではないか。「鏡面文字(左右が反転しており、間に鏡を置かないと判読出来ない文字)」で書かれたその内容は、現存していると言われる約5000枚の「ダ・ヴィンチ手稿」の一部であり“天文学”と“水理学”について書かれている。何より驚かされるのは、それらが1506年から1510年に掛けて書かれたものであり、世の中には全く存在していなかった“理論”や“分野”について述べていることだ。正に“無”から“有”を生み出す“天才”の、圧倒的な“存在感”を感じると同時に、彼が明らかに“彼以後の世界”を全く変えてしまったことを確信させるのである。