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一期一会のある暮らし
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  もし出来る事なら、人はいつでも笑顔で暮らしたいと思うものだ。ところが、世の中なかなかそう上手くは行かない。“悩み”は“降る星の如く”頭上に迫り、“悩み”からおさらばしようと、もがけばもがくほど深みに嵌るのもまた、人の人たる所以だろう。ならばいっその事、そんな“人の有り様”を面白可笑しく、笑ってしまえというのが“話芸の達人たち”が集う“寄席”という所なのである。

もちろん私自身、テレビやラジオ、インターネットの世界で昨今流行の“マシンガントーク”を駆使した“最先端の笑い”も大好物なのだが、一方では“寄席”の一角に陣取り、噺家たちが演じる“熊さん、八っつぁん、横丁のご隠居さん”など市井の人々の会話に耳を傾け、なぜ今我々がこのように暮らし、又、存在しているのかを知る“渋い笑い”に触れるのも、とても心地良いものだと思う。

“寄席”はもともと“寄せ場”という“人の集まるところ”を指し、その字のとおり“よせせき”と言っていたのだが、やがて“よせ”と読むようになった。その歴史は、江戸時代の初期に始まると伝えられる。 何しろ、ラジオもテレビも新聞も無く、もちろん、そもそも“電気”というものが無い江戸時代に、一般庶民が情報を得る手段と言えば“歌舞伎小屋”、“髪結床”、“お湯屋”、“かわら版”そして“寄席”と相場が 決まっていた。最盛期の文政年間には、江戸市中の街という街には必ず“寄席”があり、その数は125軒だったという。しかしながら「天保の改革」によって閉鎖が相次ぎ、一時は15軒までその数を減らしたが、 改革が失敗に終わると、その反動からか総数は400軒を超えたと伝わる。江戸から明治に時が移っても“寄席”の人気は衰えず、1884年刊の「東京案内」には、87軒の“定席”(通年、興行を打っている“寄席”のこと) があったとある。ただその後“寄席”のライバルである“活動写真館(映画館のこと)”が爆発的に増えたり、またラジオ放送が開始されて、庶民の娯楽が多様化していく中で、“寄席”は激減していく。 その後も大きな流れは変わることなく、何と現在では、厳密な意味での“定席”は地方には無く、東京の「上野、鈴本演芸場」、「新宿末廣亭」、「池袋演芸場」、「浅草演芸ホール」の4軒を残すのみとなってしまった。 それでも、“古典芸能”を守って行こうという動きと連動して、不定期な公演ではあるが「国立演芸場」が出来たり、浅草や神田に、気軽に落語を楽しめる小規模な “寄席”が新たに増えるなど、まだまだ“寄席”を巡る話題は尽きない。

さて、では実際に“寄席”に出掛けてみよう。私の、一番の贔屓(ひいき)の小屋は何と言っても「新宿末廣亭」である。出し物や時期によって、入場料や 興行の形も少し変わるようだが、通常は1ヵ月を10日間づつ上席、中席、下席に分け、“落語協会”と“落語芸術協会”の噺家が交代で出演している。“落語”の他にも、“色物”と言われる漫才、漫談、講談、手品、曲芸等、昼12時の開演から“中入り”を挟んで夜9時まで、みっちり楽しめる。昼夜入れ替え無しで、入場料は大人3000円と、実に格安のエンターテインメントなのだ!どうか皆様も“寄席”というタイムマシンに乗って、存分にレトロ気分を楽しんで頂きたい。