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一期一会のある暮らし
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  これから大切な人生を過ごしていく子供たちに、“日本の四季”を、或は、移り行く“日本の季節感”をどのように伝えて行くかは、大人たちにとって、とても重要な役目だろう。何故なら、日本人が持っている“繊細な情感”は、“日本の四季”によって培われたと言われており、それが失われてしまうことで“日本人共通の価値観”まで希薄になってしまう恐れを感じるからだ。それでなくても最近の日本は“温帯性気候”から“亜熱帯性気候”に変化しているのではないかとの指摘もあり、そのせいか“春”や“秋”などの、快適な季節が徐々に短くなってきているように思う。また季節と季節の狭間にある、グラデーションのような“ふんわりとした季節感”をどのように表現し、どのように感じるかは、日本人誰しもが持っている感性に関わる重要な事柄であろう。

  江戸時代、人々に季節の変わり目を意識させるために定められたのが、一年に五日あった“式日(節句・祝日)”だった。もともとは中国の暦(太陰太陽暦)にある二十四節気(冬至や夏至など)を補い、季節の変わり目にも無病息災で過ごせるようにと設けられた“厄払い日”の風習が、日本に伝来されたもので、一月七日「人日(じんじつ)・七草の節句」、三月三日「上巳(じょうし)・桃の節句」、五月五日「端午(たんご)・菖蒲の節句」、七月七日「七夕(しちせき)・笹の節句」、九月九日「重陽(ちょうよう)・菊の節句」を指す。明治に入って公(おおやけ)の暦が“太陰暦”から“太陽暦”に変わり、約1ヵ月間の季節のずれが生じたため、明治六年、これらの“式日(五節句)”は明治政府によって廃止されたのだが、“民間の風習”としては根強く残り、現代でも我々に肌で感じ、生活に密着した“季節感”を届けてくれている。

  ただ唯一、九月九日の「重陽の節句」だけは他の節句と違い、現代の日本ではあまり知られなくなってしまった感じがする。その理由は、今となってはあまり定かでないが、おそらく数字の四(死)や九(苦)を嫌う日本独特の言霊信仰や、農業における繁忙期と重なるという物理的な条件からだろう。ちなみに「重陽(ちょうよう)」とは、中国の「易経」にもあるとおり運気の良い“奇数”を“陽”とし、運気の悪い“偶数”を“陰”とする“陰陽五行説”に基づいて、“陽の極み”とされる「九」が重なる九月九日を、「重陽の節句」と呼んだのである。 “立秋”の前後、明らかにだんだんと夜が長くなる“気配”を指して、九月の事を“夜長(よなが)月”と言ったのが、いつしか“長月(ながつき)”と呼ばれるようになった。

  狂乱の夏もようやく終わりを告げ、九月九日には五節句の最後となる「重陽の節句」を迎える。「重陽の節句」は、別名「菊の節句」とも呼ばれ、植物などで“邪気”を払う中国の“風習”にならい、秋を象徴する花である“菊”を酒に浮かべて飲み、長命を祈念する。“菊”は古来より、漢方の世界では“健胃・整腸”の妙薬として珍重されていたが、現代でもエディブルフラワー(食用花)として、その“薬効”は証明されており、長い歴史に裏打ちされた、“人々の生活の知恵”には、驚かされるばかりである。