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一期一会のある暮らし
心惹かれる「透明」の魅力

  人はなぜ「透明なもの」に心惹かれるのだろうか。いや更に言えば、「透明」という言葉にさえ“清潔感”や“公明正大さ”、或は“透き通って濁りが無い”などのプラスのイメージが宿るのはどうしてなのだろうか。“透明感のある美人”と言えば、肌がきめ細やかでクスミが無く、全体のイメージが“清楚”な方を意味するだろうし、政治の世界で“透明性を高める”と言えば密室政治ではなく常に説明責任を果たし、“隠し事の無い政治”という意味だろう。一般企業においても、“経営の透明化”と言えば企業活動の“コンプライアンス(法令遵守)”意識を高め、顧客だけでなく、広く社会に対しても正義感を持つという意味である。「透明」という言葉を聞いただけで、“瞬間的に”多くの人が“心地良い感覚”を持つのには、実はそれなりの“訳がある”のだと思われる。

  長野県松本市にある“上高地”は、海抜1500mに位置する一大観光スポットだ。夏は涼を求めて、秋は目にも鮮やかな紅葉を目当てに多くの観光客が訪れる。そして何と言ってもその最大の魅力は“河童橋”から眺める“梓川(あずさがわ)”の清流だろう。人々はその圧倒的な「透明度」に驚嘆し、“清冽”な奔流から透けて見える“川底の景色”に目を奪われる。そして人間の生命維持に絶対必要な、“水”という物質の持つ「透明さ」を強く意識するのである。

  また、「透明」を象徴すると言える物質が“ガラス”である。ただ、もっと突き詰めて言うならば、我々は“ガラス”を通して目に入る“光”の「透明さ」を意識しているのであろう。
地球上のあらゆる動植物の命を育み、貴重なエネルギー源ともなっている“光”は、プリズムを通せば確かに多くの色彩が混ぜ合わされていることが判るが、しかし人の目に入る瞬間は「透明」そのものだ。

  「エミール・ガレ」や「ルネ・ラリック」といったアール・ヌーヴォー(19世紀から20世紀初頭にフランスを中心とするヨーロッパで開花した芸術運動)を代表するガラス工芸作家たちが、自己表現の素材として選択したのが“ガラス”だったのにも理由があるのは間違いない。 それは彼らの作品であるランプシェードや花瓶などに施された“昆虫”や“キノコ”、“草花”が“透明な光”に照らされた時、それら自身が最も神秘的な色彩を放つからだろう。
もう一つ、“光”を意識させる“ガラス”作品と言えば、キリスト教教会の “バラ窓”に象徴される“ステンドグラス”だ。パリの“ノートルダム大聖堂”のものが特に有名だが、“ステンドグラス”は、仄暗い教会の内部に外方からの陽光を通すことによって、描かれたものに神秘性を持たせたり、非常に美しく見せたりする事が出来る。そしてやはり“光”の「透明さ」に対する意識を喚起する。

最後に、このコラムを書いている最中に衝撃的なニュースが発表された。名古屋大学の研究チームが、植物を丸ごと「透明化」することに成功したのである。これによって、植物を解剖することなく内部を細胞レベルまで観察出来るという。人の脳やラットでも「透明化技術」が進んでいるらしい。“透明人間”も、もはやSFの世界だけの存在ではなくなるのかもしれない。