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一期一会のある暮らし
日本的情感の源泉を求めて

  最近電車の中で、或は遊園地や空港でも、いやいや普通に街中を歩いていても外国語が耳に飛び込んで来ることが多くなった。2013年には年間1千万人を超えたと言われる
“外国人観光客”は、2020年の東京オリンピックに向けて
2千万人を超える想定ですべての準備が進んでいるらしい。
来日ビザの発給要件が緩和された途端に数多くの“外国人”
が日本にやって来て、しかも口々に“日本人は本当に親切だ!”とか“こんなに清潔な国は世界中に他には無い!”とか“日本文化に感銘を受けた!”などと誉めそやしてくれる。
20年間に亘る低迷期に日本人が失ってしまった“自信”や
“誇り”を、一気に取り戻すチャンスとばかりに、声高に「日本礼賛論」が語られるようになった。しかしながら、ちょっと待って頂きたい。実際に我々日本人自身が、日本の特筆すべき美徳やアイデンティティーを理解しているだろうか。そして、それはいったいどのような部分なのだろうか。その答えは、「日本的情感」にある。

  日本人の“豊かな情感”が、日本の“四季”や類稀なる恵まれた“自然”によって育まれてきたことは間違いないだろう。木洩れ陽(こもれび)の射す京都の「糾(ただす)の森」や、水音も涼しい「哲学の道」を散策すれば、日本人が“山”や
“川”、“岩”や“木々”に“自然の精霊”が宿るという“原始信仰”
を持っていたことは容易に理解出来る。日本人にとって生活の中心だった“農耕”は自然の影響を大きく受けるために、自然への“畏敬の念”が発達し、“利己的な考え方”が抑制され、“自然環境”や“周りの人々”と共生するという“利他的な精神構造”が形成されていったのだと思う。また古来より日本は極めて狭い国土(人間が住み暮らせるスペースという意味で!)に数多くの人口を抱えるという地理的条件下にあったため、己一人が良ければそれで良いというような考え方を極度に嫌った。誰かが利己主義的な問題を起こすと「お天道様(おてんとうさま)は、お見通しだぞ!」などという表現で戒めたのだ。もちろん、米国から輸入された終戦後の“現代教育”を受けた世代は、“自己主張”においても、“科学的考察力”においても、“個の尊重”や“自然の脅威の克服”を身に着けたと言える。しかし、我々日本人の心の奥底に流れるDNAは、やはり“相手を思いやる”とか“相手を喜ばせる”というような“利他的行動”を上質なものと捉える素地があるのだろう。そこに、“おもてなし”や“一期一会”といった外国人が驚くような「日本的情感」が存在するのだ。

  長期の海外出張を終えて帰国する時、まだ海外の空港に居るのにも関わらず、日本の航空会社の飛行機であれば、その機内に入った途端に、腹の底からの“安堵感”を覚える。表層的ではない“笑顔”、計算された“声のトーン”、優しい“言葉遣い”、日本人スタッフによって念入りにチェックされた“清潔なトイレ”、読みたいと思った“真新しい新聞や雑誌”は選び放題、日本人乗客同士の“気の遣い合い”など、そこはもう極めて日本的な空間だ。日本は自然も素晴らしいが、何と言っても「日本的情感」が魅力的なのである。