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一期一会のある暮らし
脇役こそが成功の鍵だ!

  私は“時代劇”が大好きなのだが、皆が主役で、皆が「杉良太郎」や「高橋英樹」、或は「里見浩太朗」では何とも締まらないだろうと思う。なぜなら人は、鮮やかな“対比”の中にこそ大きな魅力を感じるものだからだ。“悪”の“憎々しさ”が際立てば際立つほど“善”の“心地良さ”に酔いしれるし、“漆黒の闇”が深ければ深いほど、“僅かな光明”も鮮やかに照り輝くという訳だ。

  善悪という問題だけではない。“主人公”の明らかな“才”は、周囲で“凡夫”を演じる“脇役”の“味”に触れて、大いに際立つ。最近、なかなかの視聴率を取ってさすがに「木村拓哉」だと言わしめたテレビドラマ「HERO」も、実は“脇役”たちの機関銃のように飛び交うセリフの中に“俗っぽさ”や“自己保身”、“自己中心性”や“自己顕示欲”をたっぷりと散りばめ、それとは真逆に見た目は異端でありながら、本質は“原理原則”に忠実で現場確認を怠らない極めて“誠実”な検察官を「木村拓哉」が演じることによって自然と彼がバリバリの“正義の味方”に見えてくるという寸法なのであった。

  もう一つの“脇役”のパターンは、“愛すべき人物”である。具体的に言うならば、「銭形平次」に出て来る“下っ引き”
の「八五郎」や、「鬼平犯科帳」に出て来る「うさ忠(木村忠吾)」や、老盗賊「相模の彦十」など、主人公に心酔し、
ひと時も傍を離れないような従順さを前面に出しながら、時折主人公の眼を盗んで、取るに足らないような“小悪事”
をして見せる“可愛らしさ”が日本人好みと言えるだろう。当然すぐに悪事は露見し、“主人公”にちょっとお灸をすえられるのも実に微笑ましい。と同時に、彼らを笑って許すことによって、“主人公”の“包容力”や“度量”の大きさ、深さが際立つという仕組みだ。

  最後の“脇役”のパターンは、“主人公”たちの能力をはるかに超えた“才能”を持ちながら自らにスポットライトが当
たることを敢然と拒否し、ただ“成功”という結果のみを追い求める者たち、即ち世に言う“作戦参謀”である。古くは、
「三国志」に登場する英雄「劉備玄徳」を助けた「諸葛亮孔明」が有名だろう。今でもドラマや演劇にその名を残す
“優れた作戦”を立案し、“天下三分の計”を「劉備」に授けて、小国「蜀」の建国を助けた。そして、日本人好みの“軍師”と言えば「黒田官兵衛」や「竹中半兵衛」に尽きる。「豊臣秀吉」の“天下取り”に欠かせなかったその“権謀術策”
と“智謀遠慮”は、正に“主人公”を遥かに超えるが、しかし彼らはあくまで“脇役”であって表舞台を望まない。また、日露戦争において大国ロシアの「バルチック艦隊」を日本海海戦で撃破して日本の勝利を決定づけた「東郷平八郎」元帥の傍らに有って、「T字戦法」を立案指揮した作戦参謀「秋山真之」海軍中将は、「皇国の興廃この一戦に有り、各員一層奮励努力せよ!天気晴朗なれど波高し!」との名文を上奏し、敵艦隊との一戦を前に、恐怖感と闘う兵隊たちの士気を鼓舞した。

  “主人公”はいつでも“光”の当たる所を歩み、満場の喝采を一身に浴びる役割だが、その“主人公”を生かすも殺すも実は傍らにたたずむ“脇役”如何と言える。“脇役”こそが“成功の鍵”なのである。