トップページ  >  一期一会のある暮らし
一期一会のある暮らし
時空間旅行☆江戸へ
(1)

  「水戸黄門」あたりを最後に、テレビ欄から江戸時代を描いた連続「時代劇」というものが消えて久しい。画像が、陰影のある
“映画フィルム”から“デジタルビデオ”に変わってしまったり、“放送禁止用語”の激増によって“時代背景の伝承”が困難になってしまっていることが大きいのかもしれない。しかし、「大佛次郎(おさらぎじろう)」氏の「鞍馬天狗」や、「野村胡堂」氏の「銭形平次捕物控」、また江戸の人々の生活を余すところなく伝え、
悪党どもを懲らしめる“火付け盗賊改め方”の長官「長谷川平蔵」の活躍を描いた「池波正太郎」先生の「鬼平犯科帳」などに心ときめかせた我々の世代からすると、何か日本人の心が大きく変化してしまう前兆のようで、いささか寂しい気がする。

  ただ、どうやらNHKで大人気を博した「タモリ」さんの番組「ブラタモリ」などが火付け役となって、“江戸古地図”を片手に東京の町を散策するのが密かなブームになっているらしい。“スマホ”
を目の前の景色にかざすだけで、江戸時代にはそこに何が
あったかを教えてくれる“アプリ”まで登場して人気だという。
平成の時代に生きている私たちの生活の中にも、“江戸時代”から脈々と伝わる“習慣”や“価値観”があることも、不思議ではあるが面白い。今回はそんな“江戸”という“都市”や“文化”、“時代背景”について訪ねてみたい。

  そもそも“江戸”というのは巨大な川の河口部分を指す言葉であり、実際の“江戸”は、広大な流域面積を持つ“利根川”の河口地域を指していたという説が一般的だ。そしてその“江戸”という地名が始めて文字として著されたのは、建武四年(1337年)に“南北朝時代”の武将である「足利直義(あしかがただよし)」が“鎌倉五山”の一つである“円覚寺”に対して、その領地を保証するという意味で書き表した「円覚寺所領目録」が最初であると言われている。この目録の中に“江戸前島”という地名が出てくるが、これが実は東京湾の波によって浸食され低く平らに残った“日本橋台地”のことであり、現在でも東京の中心地である大手町、丸の内、有楽町、内幸町、銀座、京橋、日本橋周辺を指しているというのはとても興味深い。またこの目録は、これらの街々が古来より水運の拠点としても栄えていたことが分かる資料でもある。この後、長禄元年(1457年)には、上杉氏の家臣団の一員だった「太田道灌(おおたどうかん)」が、地元を治めていた平家の家臣「江戸重長(えどしげなが)」の子孫を駆逐し、現在の皇居東御苑がある場所に初めて“江戸城”を築いた。

ところがこの「太田道灌」が主君である「上杉定正」に誅されると、その軍隊は跡形もなく解体され、やがて “江戸城”は、大永四年(1524年)には、小田原を拠点とする戦国大名「北条氏康(ほうじょううじやす)」に占拠されることとなる。そして“江戸”は、
“江戸湊(えどみなと)”とも称されるように水運の一大拠点としての価値が高まると共に、利根川を挟んで房総半島に勢力を持つ「里見氏」と「北条氏」の戦いの拠点となるのだった。