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一期一会のある暮らし
続、絢爛たる歌舞伎
(上)

ichigo48_01  平成17年に「私流!絢爛たる歌舞伎」というコラムをお届けしてから既に7年という月日が経った。この間に、慣れ親しんだ「銀座歌舞伎座」は建替えの為に取り壊され、来年平成25年春には、耐震性にも優れた「新歌舞伎座」が完成の予定である。また、残念なことに「中村富十郎(天王寺屋)」、「中村芝翫(成駒屋)」、「中村雀右衛門(京屋)」という、文字通り歌舞伎界の屋台骨を支えた、重要無形文化財保持者(人間国宝)お三方が亡くなってしまった。昨年7月、ようやく「中村吉右衛門(播磨屋)」丈(じょう)が新たに“人間国宝”となられたのだが、存命の“人間国宝”は、わずかに4名(坂田藤十郎、尾上菊五郎、澤村田之助、中村吉右衛門)というのが現状だ。「出雲の阿国」以来、四百十有余年続く歴史を持つ“歌舞伎”は、“芸の継承性”と、それぞれの時代における“革新性”を融合した、言わば“日本演劇文化の結晶”であり、しかも現在でも尚大変な人気を誇る“大衆芸能の雄”であるわけで、もっと若い方々にも観て頂きたいし、また演じる側にも“新たな才能ある若者”がどんどん育っていって欲しいと、心から願っている次第である。

  今からちょうど30年前、生まれて初めて自分の給料からお金を出して、「京都南座」の“十二月顔見世大歌舞伎”を観に行ったのが、私と“歌舞伎”の真の出会いだった。当時の給料が手取りで7~8万円であり、二階最前列の4人が座れる“桝席”で“一人7千円”は、かなりの勇気を必要とする買い物でもあった。それ以前にも母に連れられて「銀座歌舞伎座」に行ったことはあったが、全くその内容に対する興味は無く、子供心に役者たちの異様な風体に対する“原始的な恐怖”を感じた事以外に恥ずかしながら何一つ覚えていない。しかし30年前、たまたま“歌舞伎”に造詣の深い友人に誘われて久しぶりに“それ”と再会した途端に、すっかりその“独特な世界”にのめり込むこととなった。

ichigo48_02  「リチャード・ギア」と「ジュリア・ロバーツ」が好演した映画「プリティ・
ウーマン」の中で、主人公が彼女を“オペラ”に連れて行き、「“オペラ”は初めて見た瞬間に、“二度と見ない!”か“一生の友となる!”かが決まる」と言う場面があるが、私は“歌舞伎”についてもよく似たところがあると思う。重要なことは、最初にどのような演目と出会うかだろう。私の場合は、先代の「中村勘三郎」丈と現在の「尾上菊五郎」丈の父君である「尾上梅幸」丈が演じた森鴎外原作「じいさんばあさん」を見た時が、その分岐点だったようだ。仲の良い武家夫婦が新婚早々、夫の酒席での刃傷沙汰によって、以後28年間に亘り、別々の家にお預けの身となる。そして28年後、互いに年老いた姿で再会するという人情物語なのだが、我ながらこめかみが痛くなるほど号泣した。そして、これが“歌舞伎”の真髄なのだと深く心に刻みこまれたのである。

  きっと貴方にも、千両役者が台詞を口にした時、或いは見得を切った時、はたまた劇中の琴線に触れる言葉に出会った時に、“歌舞伎”
の魅力や真髄に触れ、“一生の友”となる瞬間が訪れることを確信して、“お誘いの言葉”としたい。